亡くなった人に対して思うこと

 

ここ1〜2年、周りで数人亡くなった。

身近なところで死を経験する一方、新しい命の誕生も目にした。「ああこうしてみんな任期を満了して、この世界は循環していくんだなあ」と思った。

 

「先程、〇〇が亡くなりました」という連絡を受けるのはやっぱり慣れない。一瞬、すべてが停止して、えーっとえーっとどうしたらいいんだっけ...何を準備して、誰に連絡して......と自分のことばかり考えてしまい、故人を悼むどころではない。

正直、悲しみに暮れることも拍子抜けするくらいなかった。ショックのあまり受け入れられないというわけでもないのに。自分の感情が急に存在感を消すから、私はこんなに薄情だったっけか、と思った。

 

「輪廻転生」を、私は結構信じている。

もともと自分はボワッとした丸い魂のようなもので、今世を生きるためにこの肉体を器として選んだ、そんな感覚がある。

亡くなった人の蝋人形のような顔や手足を見ると、この感覚はあながち間違っていないのでは...と思う。文字通り、魂が抜けた後の"器"のように見える。

 

だから、遺体に向かって泣きながら話しかけている人を見ると、もうそこにはいないと思うよ、と伝えたくなる(そんな状況ではないからなかなか言えないけれど)。空の入れ物より、この空間、宙に向かって話しかけた方が伝わるんじゃないかなあ、と冷静に考えてしまう。

 

生きている人より、亡くなっている人の方が頻繁に意思疎通が図れるのではと思うこともある。物理的な障害がないから、呼んだ瞬間来てくれるような気がする。そして今思ったけど、こうやって呼んだとき、相手は真正面からは絶対に来ない。ななめ後ろらへんにボワっとニュルっと現れるような感覚。脳の仕組みと関係しているのかね。しらんけど。

 

オチのつけどころがわからなくなってきたのでそろそろ終わりにします。

自分は大器晩成型だと期待しているので、まだこの器を手放すわけにはいきませぬ。